伏見稲荷大社の不思議(5)

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狐の神様で有名な伏見稲荷大社を紹介しています。 前回までご紹介した通り、商売繁盛のご利益を求める人々のパワーと信仰心が稲荷山全体にみなぎっており、そのパワーは衰えることなく稲荷信仰として平安の時代から現代まで脈々と受け継がれてきました。

その歴史の重みも相まって伏見稲荷は京都随一の不思議な空間の広がるパワースポットとなっています。

今回紹介する稲荷山のお山巡りを通して伏見稲荷の神秘的な空気をぜひ味わっていただきたいと思います。

前回までは御膳谷から御劔社までを紹介しました。第5弾となる今回はお山巡りの最終目標となる稲荷三峯を紹介します。

第1弾と第2弾、第3弾、第4弾は以下をご覧ください。

それでは、お山巡りを再開しましょう。お山巡りも残すところ稲荷三峯のみです。その名の通り、稲荷山には小高い峯が三峯あり、高い方から一の峯、二の峯、三の峯と名が付いています。

四ツ辻から右手に折れて三峯を目指す場合は三、二、一の順に標高が高くなる順に参拝しますが、今回は御膳谷方面から裏手を回っていますので、一の峯が最初に訪れる峯になります。

一の峯

御劔社方面から急な階段を上っていきます。途中矢印の看板があり、一の峯に近いことを教えてくれます。

階段を上り詰めると長かった鳥居の回廊が開け、急に明るくなります。
稲荷山の頂上「一の峯」です。

伏見稲荷大社の鳥居の回廊は全てこの一の峯に通じていますが、その長い回廊の終着点がこの一の峯になります。
標高は233mとそれほど高いわけではありませんが、山頂の社にふさわしい堂々としたたたずまいを見ることができ、苦労して登ってきた甲斐があるというものです。

山頂であることを表す掲示があります。

一の峯 上ノ社 末廣社

伏見稲荷七神蹟のひとつである一の峯の社「上ノ社」です。

ここに祀られている神様は誰でしょうか?伏見稲荷大社の祭神は5柱平等ですが、最も有名なのは本殿の中央座に祀られる宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)です。この一の峯、上ノ社もてっきりこの 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ) を祀っていると思っていたのですが、実は違うのです。

御祭神は伏見稲荷大社の本殿、南座に祀られている大宮能賣大神(おおみやのめのかみ)です。別名、末廣大神とも呼ばれ人々に親しまれています。
大宮能賣大神は天岩戸神話に登場する天宇受売命(アメノウズメノミコト)と同一視されますが、これは二の峯の祭神「佐田彦大神」別名「猿田彦命」が天宇受売命(アメノウズメノミコト)の夫である所から来ています。

末廣大神の御神体が奉られています。

かつて4世紀頃、稲荷山の山頂には古墳があったとも言われます。

秦氏が稲荷明神を奉った711年よりも以前の話ですので、そのころから稲荷山は神々や祖先を奉るにふさわしい場所であったということです。周辺からは勾玉 変形四獣鏡意、二神ニ獣鏡が出土しています。

二の峯への参道

一の峯の参拝が終わったら、二の峯に移動します。一の峯が稲荷山山頂ですので、二の峯へは下りの道となります。

また、稲荷山の鳥居は一の峯に向って表を向いていますので一の峯を越えると鳥居はご覧の通り裏向きとなります。

しばらく下ると二の峯のお塚が見えてきます。
御膳谷ほどではありませんが、かなりの数のお塚が密集しています。

二の峯 中ノ社

二の峯には中ノ社があり、青木大神が奉られています。青木大神は佐田彦大神、猿田彦大神とも呼ばれています。
猿田彦大神は天孫降臨の際に瓊々杵尊(ニニギノミコト)を先導した神であり、一の峯の大宮賣神(天宇受売命)の夫でもあります。
田中社に祭られる賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)も神武天皇を導いた先導の神でした。
これらの神は道祖神として人を導くと同時に、五穀豊穣、商売繁盛へ導いてくれるありがたい神として人々に親しまれているのです。

中ノ社 御神体

社殿の奥には中ノ社の御神体が祀られています。御神体の両脇には狐と狛犬が両方控えていました。

二の峯 お塚 辻亭

二の峯のお塚のひとつです。こちらは頭に毛糸の帽子をかぶった狐です。

下の写真は御茶屋の「辻亭」です。
棚にはお供えものである「御神供(ごしんく)」が並んでいます。
御膳谷でも三ヶ峯に御日供(おにっく)という形で進供できますが、山頂でも直接進供することが可能です。

二の峯のお塚を守る眷属の狐です。
お塚に赤い鳥居を奉納することもできます。一般的な神社は蝋燭や護摩など、燃えて形が残らないものを奉納することが多いですが、ここ伏見稲荷では形の残る鳥居を奉納することができるので、多くの方が訪れるとその鳥居の数やおびただしい数になります。

その鳥居の数だけ人の想いがあり、その集積度は他の神社と比べ物にならないほど高くなっています。

二の峯出入口の鳥居を後にします。しばらく階段を下ると、間の峯に到着します。

間の峯 荷田社

二の峯と三の峯の間にあるのが間の峯(あいのみね)です。二の峯から尾根沿いに下ってきた踊り場にあたります。

ここには荷田春満を輩出した荷田家の祖神を祀る荷田社があります。
御祭神は「伊勢大神」であり、伊勢神宮の内宮に祀られている太陽神「天照大神(あまてらすおおみかみ)」を表しています。天皇家の始祖であり、古くから日本人は五穀豊穣を祈願し、大嘗祭にてその恵みに感謝の意をあらわしてきました。
また、一の峯との関連ですが、天照大神が天岩戸に閉じこもった時に踊りを踊ったのが一の峯、上ノ社に祀られている天宇受売命(アメノウズメノミコト)です。

荷田社の社殿奥にある御神石です。周辺には他の峯と同様、お塚が並んでいます。

間の峯 荷田社 奴禰鳥居

荷田社には「奴禰鳥居(ぬねとりい)」という珍しい鳥居があります。
鳥居の2本の平行線(島木と貫)の間に三角形の破風が挟まれているというユニークな形で、日本全国で見ても稀少な鳥居です。荷田社の他には錦天満宮(京都市中京区錦小路通新京極)でも見ることができます。

間の峯 いせや

間の峯のお茶さん「いせや」と奴禰鳥居です。

伝承によれば、その昔、稲荷山の麓には「竜頭太」(リュウトウタ)という山の神が住んでいたとされています。
顔は龍のようで、光り輝き、昼は稲を作り、夜は山に分け入り、薪を拾っていたとされます。
稲を荷づくことから、姓は「荷田」と呼ばれていたようです。つまり、「荷田氏」とは「竜頭太」の末裔ということになります。
東寺の記録によると、平安の時代、弘法大師「空海」が竜頭太から稲荷山を譲り受けると、稲荷明神を山の麓に勧請したといいます。その時、山麓には藤尾大明神がすでに鎮座していましたが嵯峨天皇に奏上して深草に遷座したといいます。
伏見稲荷大社の神官(社家)には秦氏と荷田氏の系列に分かれていますが、荷田氏は秦氏による稲荷神鎮座以前からこの稲荷山に出入りしていたようです。

尚、2019年7月現在、お茶屋のいせやさんは営業をしておらず、店を閉められているようです。

間の峯~三の峯

間の峯を過ぎると、再び下り坂になります。

三の峯 下ノ社

暫く下ると三の峯のお塚群が見えてきます。
多くの鳥居が奉納されている三の峯のお塚です。

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を祀る下ノ社です。白菊大神の名でも知られています。

もともとこの神は、この地に住んでいた秦氏一族がその氏神の農耕神として祀っていたもで、五穀豊穣を司る穀物神、農耕神でした。そこから転じて食物を司る「御食津(みけつ)神」または「御饌都(みけつ)神」となり、伊勢神宮外宮の女神豊受大神と同一視されるようになります。 宇迦之御魂大神の姿が女神だったり、眷属が狐だったりするのはこのためです。 「倉稲魂命( うかのみたまのみこと ) 」とも表記され、日本人の主食であるコメの豊穣祈願の想いが込められています。

 その後、弘法大師空海が東寺を真言密教根本道場として造営する際、秦氏の協力のもと、稲荷山の杉が建築材料として使用されました。このことがきっかけとなり、宇迦之御魂大神は東寺の守護神として祀られるようになりました。

 こうして真言密教と強く結びついた結果、仏教的な現世利益の考え方を取り入れ、仏教の庶民への浸透とともにその信仰は全国に広がっていきます。宇迦之御魂大神は白狐にまたがる陀枳尼天の姿で神仏習合されています。現在日本にある神道系の稲荷の総本社は伏見稲荷であり、仏教系は豊川稲荷になります。

三の峯 下ノ社 御神体

下ノ社の御神体です。宇迦之御魂大神が降臨した地とされており、伏見稲荷の原点を祀る峯です。 明治時代に変形神獣鏡が出土しました。この神獣鏡は現在京都国立博物館に所蔵されています。

三の峯 岡本店

三の峯に店を構える「岡本店」です。他の御茶屋と同じく、神饌や奉納鳥居などを取り扱っています。

三の峯 四ツ辻間の鳥居

三の峯を下り、四ツ辻へ抜ける参道です。下り坂が続きます。


四ツ辻のにしむら亭の前まで戻ってきました。

四ツ辻から三徳社への参道

四ツ辻と三徳社の間に小さな踊り場になっている展望所があります。
そこにあるのが薬一社です。ここも狐ではなく狛犬のようです。

階段の下に見えるのは三徳社の鳥居です。
下り階段はひざにかかる負担に気をつける必要があります。

三玉亭から三ツ辻

三玉亭から三ツ辻の鳥居まで下ります。
帰りルートとしては三ツ辻にて「熊鷹社へ下るルート」と「裏参道を通るルート」があります。


今回はここまでです。次回は裏参道へ進んだ場合のルートを紹介します。
尾根伝いにしばらく鳥居の道が続きます。